老齢福祉年金について【昔を思い出して】
※この記事は、市町村窓口の、国民年金担当の地方公務員職員の方向けに書いているつもりです。
老齢福祉年金は、私が市役所の窓口で国民年金を担当していたとき(1998~2001)から、受給権者が残り少ない制度の年金として、なんとなく特別扱いな位置づけの年金でした。
区内に老齢福祉年金の受給権者は一人しかおらず、その当時でかなりご高齢でした。
ご高齢のため、お口こそ達者ですが、モノを書いたり読んだりすることはできず、歩くこともままならず、車いす生活でしたし、頭も恍惚とされておられ、理路整然とした話は絶望的でした。
また、耳が大変遠く、大きな声で話さないと聞こえない状態でした。
そしてある年とても困ったのが、年に1回の受給権者の義務、現況届です。
担当者が何度も手紙を出し、ときにはご自宅の玄関まで伺い、現況届を出すようお願いしたのですが、いっこうに出してくれませんでした。
やむなく、年金が支給停止となりました。
で、どうなったかというと。
役所に怒鳴りこみに来られました。(;´Д`)うわーお
不運にも、当日担当者が有給休暇をとっており不在でした。
たまたまその日窓口当番だった私が、車いすのところまで行き、お話をうかがいました。
「年金が止まっている!どうしてくれるんだ!?役所が年金を止めた!私を殺す気か!!??」
という、なかなか物騒なことを、比較的長い時間喚き散らしてお帰りになりました。
現況届を出さなければ年金がとまるということを理解してもらうことは難しかったです。
ただ一方的にどなられ、なじられました。
当時私はまだ社会人1年目でしたし、右も左も分からない状態で、ただ泣き喚くご高齢の市民を前に、心の底から途方に暮れたものでした。
あとで老齢福祉年金について勉強し、先輩職員にも聞いて、現況届を何度も催促したのに出さなかったあの市民の方にも非があるのは分かりましたが、ではあのときどうやったらあの方を納得してもらうことができたのか、今でも分かりません。
もっとうまく説明ができなかっただろうかとか、どうすればあのとき納得してもらえただろうかとか、今でも悩んでしまいます。
結局その方はその翌年お亡くなり、当該区における老齢福祉年金の受給権者はゼロとなりました。
以上、年寄の昔話でした。( ´∀`)
さて、老齢福祉年金受給権者が今何人いるか、ご存じですか。
老齢福祉年金受給者は、年々減っています。
当然ですよね、昭和36年4月に国民年金制度が発足した当時、50歳以上だった方たちが対象ですから。
ご存命であれば105歳以上ということになります。
政府の出している統計情報を見ると(↓これです)
令和3年9月時点で全部支給となっている方が7名いらっしゃいます。
熊本に2人、埼玉、新潟、福岡、長崎、沖縄に1人ずつです。
この全額支給の7名分、6役所では今も老齢福祉年金の事務をやっていらっしゃるのだなあと、尊敬の念を抱きます。
どうか、受給権者の方たちが心やすらかに、毎回無事受給できますように!
そして、事務方の皆さんが、困ることなく無事、事務を終えますようにと、願ってやみません。
老齢福祉年金については今後も定点観測していこうと思います。